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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『明日の日本画を求めて―星野眞吾賞歴代受賞作品選抜展』

展覧会『明日の日本画を求めて―星野眞吾賞歴代受賞作品選抜展』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2021年11月9日~28日。

日本画の新進作家の発掘と顕彰を目的として、1999年から3年ごとに開催されている「トリエンナーレ豊橋 星野眞吾賞」。その第1回~第7回の受賞作品から11点を紹介する企画。
森燐《ソンゴコロクル(1998年9月6日-)》(第1回優秀賞)、吉賀あさみ《Strata#6「恍憬」》(第2回優秀賞)、新恵美佐子《花》(第3回大賞)、佐藤裕一郎《underground stem》(第3回優秀賞)、加藤良造《山水境》(第4回大賞)、田中武《裏側》(第5回大賞)、浅葉雅子《落葉》(第5回優秀賞)、久保木桂子《事後と沈黙》(第5回優秀賞)、漆原夏樹《彼女の風景》(第6回優秀賞)、財田翔悟《かさねがさね》(第7回大賞)、中澤美和《環る景色》(第7回準大賞)。

新恵美佐子《花》(1940mm×1303mm)(2005)
仄暗い水の中の蓮のような大きな葉を持つ植物を青緑色の濃淡で描き出している。絵具が薄く刷かれているためか、水彩画のように水の存在を強く感じさせる画面になっている。画面右下には弧状に円弧を連ねた影となった葉2枚が描かれ、その2枚の葉の間から白っぽい太い茎が2本伸びていて、左側の茎の先に付いた葉が画面左上の角で傘のように広がっている。右下から左上に向かう水流が葉をめくって、葉の裏側を覗かせている。上の葉と茎の傍の2箇所に光が射している。鑑賞者は水中から水中を見上げる感覚を味わい、ネモ船長に従って海底を散策するアロナクス教授の気分に浸れるだろう。ところで、花はどこにあるのだろうか。法然の和歌「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」よろしく、作品を眺めることで、花のイメージを意識の中に咲かせるべきだろう。

加藤良造《山水境》
画面最下段の右側にある岩場に水が流れ出ていて、その流れは画面中央の奥の方から発しているようだが定かではない。周囲には、枝葉を細かく描き込んだ、鬱蒼とした森が広がっている。ヤーコプ・ファン・ロイスダール(Jacob Izaaksz van Ruisdael)の風景画を想起させなくもない景観である。画面の半分より上の位置で、その森は水平に広がる白い霧によって断ち切られている。その霧の上には嶮峻な高峰が姿を見せる。右上にある峯の1つの辺りに青空が覗いている。緑と淡い朱色を基調とした画面の中で、空色の清涼感は印象的だ。もっとも、その上方にも山が迫っているため、本来、空が見えることはあり得ない。白い霧の上に広がるのは桃源郷であり、現実的な景観ではないことを示すものではなかろうか。

田中武《裏側》(1940mm×1303mm)(2011)
「十六恥漢図」シリーズの1点。証明写真機に設置されている高さを調整できる椅子に座るのは、親指と人差指とで輪をつくる説法印の形でフェイスパックを剥がしている女性。目元はモザイク状の描き込みにより隠されている。ワンピースは緑色の地に黄の水玉模様で、紫色のストッキングを穿いた膝に載せられている胡瓜(輪切りにした断面ないし皮)をイメージさせる。左脚は靴が脱げている上に、水色のペディキュアを施した親指が覗き、しかも軸装を擬態した「柱」の描き込みの上にはみ出している。ダフィット・テニールス(David Teniers de Jonge)の《聖アントニウスの誘惑》に登場する、実は足に鉤爪がある白いドレスの女性を連想させる。背後の藤棚から垂れる白い液体も気になる。

浅葉雅子《落葉》(1303mm×1940mm)(2011)
菱田春草の同題の六曲一双屏風の左隻(第六扇~第二扇)に取材した作品。春草の作品が扇の縦線によって避け難く区切られているのに対し、本作は、転写していることを明らかにする意図があるのか、ほぼ8×13の正方形で構成される格子を積極的に画面に表している。だが、何より異なるのは、色彩である。春草の画面はアイボリーを中心に淡い色彩で統一され、第五扇と第四扇に跨がる主要なモティーフの橡の若木のオレンジなどを浮き立たせている。それに対して本作は、地面に水色と奥の空間に黄色を配するのみならず、橡の若木の葉は黄緑を中心にしつつ、黄緑やオレンジのタータンチェックが施されているのが目を引く。なおかつ、橡の若木の右手に立つ櫟の幹をオレンジ色で表すことで、視線を分散させている。落ち葉も青緑、紫、茶、オレンジ、黄など画面手前から奥に向かってグラデーションをなすように塗り分けられている。櫟の脇に佇むウサギが、『不思議の国のアリス』の白ウサギよろしく、パラレル・ワールドであることを示している。

久保木桂子《事後と沈黙》
一見すると荒寥としたシベリアの大地とも解されるが、画面の下3分の1を暗い海に、画面の上3分の2を曇り空に割り当てて描き出した、震災後の福島の海である。画面の四囲が中心よりも暗く暈かされており、写真の印象も狙われているようだ。描線や紙の皺がつくる微細な変化は、靄がかかる模糊とした景観が恰も音を吸収するかのような効果を生んでいる。海は全てを呑み込んで静かであり、鑑賞者はそのような海を模倣するよう、全てを呑み込むように誘われる。

財田翔悟《かさねがさね》(1940mm×1200mm)(2011)
女性の胸像。フード、髪の毛、着衣、背景が全て黒で表される中、女性の白い肌が浮き立つ。凹凸の浮き出るフードや着衣、あるいは銀のネックレスは金工のようであり、髪は切り紙のようである。これらの硬質な表現に対し、女性の顔はエアブラシを用いて柔らかい印象が強調される。神護寺仙洞院の《伝源頼朝像》に通じる趣がある。