可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ハッチング 孵化』

映画『ハッチング 孵化』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のフィンランド映画
91分。
監督は、ハンナ・ベルイホルム(Hanna Bergholm)。
脚本は、イリヤ・ラウチ(Ilja Rautsi)。
撮影は、ヤルッコ・T・ ライネ(Jarkko T. Laine)。
美術は、パイビ・ケットゥネン(Päivi Kettunen)。
衣装は、ウルリカ・シューリン(Ulrika Sjölin)。
編集は、リンダ・イルドマルム(Linda Jildmalm)。
音楽は、スタイン・ベルグ・スベンドセン(Stein Berge Svendsen)。
原題は、"Pahanhautoja"。

 

フィンランドの美しい森の中に立つ瀟洒な住宅。リヴィング・ルームでレオタードを身に付けたティンジャ(Siiri Solalinna)が体操の練習をしている。セルフィースティックを手にした母親(Sophia Heikkilä)が近づいて娘を擽る様子を撮影する。2人は父親(Jani Volanen)の部屋に向かうと、机に向かっている父親にティンジャが近付いて擽る。
リヴィング・ルームのソファにティンジャ、母親、父親、ティンジャの弟マティアス(Oiva Ollila)が並んで座り、母親の持つセルフィースティックに取り付けられたスマートフォンに向かって、にこやかな表情を浮かべる。フィンランドの家族の素敵な暮らしを紹介しますと母親がカメラに向かって語りかける。突然何かが窓ガラスに打つかる激しい音がして、驚く一家4人。ティンジャが窓に向かうと、ガラスに黒い羽が付いている。窓を開けると、黒い鳥が部屋の中に迷い込み、興奮して飛び回ってガラス器などを次々に倒し、止まったシャンデリアを落下させ、真下にあったテーブルのガラスの天板を粉々にする。やっとのこと部屋の隅で落ち着いた鳥にティンジャが毛布を投げ掛けて捕まえることに成功した。外に逃がそうとする娘を呼び止めた母親は鳥を受け取るとその首をへし折る。ごみ箱に持って行って。生ゴミの方よ。
死んだ鳥を受け取ったティンジャは、家の裏に回ってコンポストの蓋を開けると鳥を入れる。隣の庭でブルドッグと戯れる少女(Ida Määttänen)の姿がフェンス越しに見えた。段ボールの箱が並ぶのを示して引っ越しきたばかりだという少女はレエッタと名乗った。ティンジャが犬を撫でさせて欲しいと頼むと、レエッタは犬をフェンスに近づける、ティンジャが頭に手を伸ばそうとすると、犬が手に噛み付こうとした。レエッタが動揺して謝る。ごめんなさい、噛む癖はないんだけど。
母親がマティアスを寝かしつけるために子守歌を歌っている。もっと大きな声で歌ってよ。息子にせがまれて歌っていると、ティンジャがやって来て一緒に歌う。母親はティンジャに任せて自分の寝室へ移動する。弟を寝かしつけたティンジャは、母親のいる天蓋付きのベッドへ向かい、母親の制作した動画をラップトップで見る。仲睦まじい家族の姿が次々と映し出される。体操のポーズをとるティンジャの姿が現れた。爪先が伸びてない。カットできるから心配しなくていいわ。隣に越してきたレエッタが明日家に呼んでくれるって。大会に集中してるんじゃなかったの? …大会に集中してる。
体操教室で段違い平行棒に取り組むティンジャ。着地が決まらない。コーチ(Saija Lentonen)が思い切ってチャレンジするようアドヴァイスする。演技がまとまらなければ大会出場の残り1枠に入れられないわ。練習が終わり、3人組から一緒に出かけようと誘われるが、ティンジャはランニングがあるから無理と断る。やっぱり駄目かと立ち去る3人組に、ティンジャは楽しんでと声をかける。
リュックを背負い走って帰宅した汗だくのティンジャは、リヴィングで脚立に上がってシャンデリアを修理している男(Reino Nordin)と、脚立の脇で彼の脚に手を這わせている母親の姿を目撃する。男は脚立を降りると母親と抱き合いキスを始めた。男がティンジャがいるのに気付き母親から離れると、母親は彼をテロという大切な友達だと紹介する。母親はティンジャに着替えるよう促す。
母親がティンジャの部屋にやって来て、テロは大人に必要なものを満たしてくれる特別な友達なのだと説明し、このことは女同士の秘密だとティンジャに念押しする。
夜、ベッドで寝ていたティンジャは、耳障りな鳥の叫び声に目を覚ます。外に出てコンポストの中を確認すると、鳥の死骸は無かった。鳴き声に導かれて森の中へと歩いて行くと、例の鳥が落ちているのを見付けた。介抱しようと手を伸ばしたものの激しく抵抗されたティンジャは近くにあった石で鳥を打ち付ける。執拗に頭を叩き続けて鳥を殺したところ、近くにあった巣に卵が1つ残されているのに気が付く。血の付いた手で卵を手にしたティンジャはベッドに戻ると、巨大なクマのぬいぐるみの下に卵を置く。

 

ティンジャ(Siiri Solalinna)は、フィギュア・スケーターだった母親(Sophia Heikkilä)の期待を背負い体操に励んでいる。段違い平行棒で初めて大会に出場できる可能性があり、練習に熱が籠もる。ある日、リヴィング・ルームで、ティンジャが父親(Jani Volanen)と弟マティアス(Oiva Ollila)とともに母親のSNS向けの動画撮影に付き合っていると、黒い鳥が部屋に迷い込み、大暴れする。ティンジャが捕まえた鳥を母が殺し、ごみ箱に捨てるよう言われる。ティンジャが自室で寝ていると、鳥の耳障りな叫びが聞こえる。ごみ箱に鳥の姿はなく、声を追って森に入ると、例の鳥が横たわっているのを見付けた。介抱を受け容れようとしない鳥を思わず殺してしまったティンジャは近くの巣に卵が1つ残されているのに気が付く。ティンジャは持ち帰ると、ベッドのクマのぬいぐるみの下に置く。ティンジャの体操教室に隣に越してきたレエッタ(Ida Määttänen)が加入した。レエッタはティンジャよりも高い技術を身に付けていて、大会出場メンバーの最後の1人に選出される可能性が高いことが分かった。ティンジャが持ち帰った卵は不思議なことに大きくなったため、クマのぬいぐるみの腹に穴を空けてそこに隠すことにした。

母親は元フィギュア・スケーターで、娘のティンジャを体操選手として大成させたい。迷いを無くすには勝つしかないと、過剰な練習を強いる母親の脚には目立つ傷跡がある。母親自身、その母親から受けたプレッシャーでフィギュア・スケートで無理をしたことを暗示する。母親は部屋に迷いこんだ鳥を殺すが、死んだはずの鳥を森の中で見付けたティンジャもまた、同じ鳥を殺す。母親が娘を自らの分身として扱い、娘は自らが母親の分身であることをすり込まれていることが示される(因みに、父親と弟マティアスとは衣装によって相似として表わされている)。ティンジャが「抱卵」によって雛を孵すことは、ティンジャが母親になることに等しい。母親がティンジャを自らの分身としたのなら、ティンジャが孵した雛がティンジャの分身であって当然である。クローゼットに隠された雛がティンジャの分身であることは、クローゼットの扉の鏡によってティンジャが映し出されることで暗示されている。
ティンジャが雛鳥の「母親」になるけっかけの1つは、母親の不倫にある。母親からセックスフレンドの存在という秘密の共有を求められたティンジャは、大人へと変貌する。父親が経血と誤解する、ティンジャのベッドの血痕は、そのメタファーである。ティンジャが体操教室やテロの庭で思い通りに演技できない背景には体型の変化が考えられる。「醜い大人」への変化に戸惑い、受け容れられない少女ティンジャは、やがてその「醜い大人」によって取って代わられることになる。それは少女に不可避の運命である。