展覧会『ミヤケユリ個展「笑う女」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー川船にて、2023年5月22日~6月3日。
舞踊や能をモティーフとした絵画を中心とする、ミヤケユリの個展。
《紅葉という名の女》の模糊としたピンク色の画面には、気泡のような穴が無数に開いた黒い山型のシートが貼り付けられ、その上部の捲れた部分には朱の唇だけで目鼻のない女の顔が覗く。能「紅葉狩」に登場する、平維茂が鹿狩りに訪れた山中で出会う紅葉狩りの美女を描いた絵画。宴に誘われ酔い潰れた維茂の夢に八幡大菩薩の眷属である武内の神が現れ、女性が戸隠山の鬼神であることを告げ、目覚めた維茂は襲いかかる鬼女を撃退する。脆い岩質の戸隠山をイメージした黒いシートで隠されると同時に(それが捲られることで)覗かされた女性は、山に潜むとともに山の化身であることが表現されている。
絵画《紅葉という名の女》の手前には、同じく《紅葉という名の女》と題された白い角を表わした立体作品が3点、それぞれ高さの異なる木の台に設置されている。絵画の女性が身に付けて鬼女に変化することを表現するものであろう。それには、ちょうどキリスト教≒男性がその支配に服さない女性を魔女として弾圧したように、山に潜んで体制≒男性から逃れた女性を一方的に鬼と断じる発想が織り込まれている。本展の英題に"Laughing Witch"とあるのはその故であろう。
《羽衣のムーブメント》は、9つのパネルで構成された画面に紫がかったピンクで、曲線やそこから拡がるモヤモヤとしたイメージの抽象絵画。強いて喩えるなら、白髪一雄の《超現代三番叟》の世界であろうか。9つのパネルは、常座や大小前など能舞台の立ち位置の目安となる区画であり、題名通り、能「羽衣」での動きを絵画に落とし込んだ作品である。漁師の白龍が松の枝にかかった美しい衣を見付け持ち帰ると天女が現れる。天に帰るために衣を返して欲しいと訴える天女に、白龍は羽衣を返す代わりに舞を所望する。
《海と山の稜線》は、山型あるいは「へ」の字型の描線を重ねた絵画である。下(内)側には暗紫色の線、途中は背景に近いクリーム色の線、上(外)側にわずかに青い線が配されている。波打ち際と山の稜線と、その両者の相同性の表現に見える。
ところで、『丹後国風土記』逸文には、奈具神社の縁起として、比治山頂にある真奈井で水浴していた天女の1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなったとの、「羽衣」に似たエピソードが記されている。老夫婦に富をもたらす天女はトヨウケビメとされる。トヨウケビメは農耕神であり、田の神として山の神とも同一視されよう。
翻って、迂遠ではあるが、《羽衣のムーブメント》の海岸と、《紅葉という名の女》の山とは、天女=トヨウケビメ=山の神を介して接続されるのであり、それを表現したのが《海と山の稜線》と解されるのである。
表題作《笑う女》には、歯を見せて笑う女性の口元だけが描かれている。その女性が山の神(農耕神)であるなら、季語「山笑う」からそれは春の表現と言える。そのとき、天女(女神)たちが群舞する本展は、肥沃や多産の寓意が込められている、サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)の《春(Primavera)》と同じ世界観を共有していることになる。