可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『WALK UP』

映画『WALK UP』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の韓国映画
97分。
監督・脚本・撮影・編集・音楽は、ホン・サンス(홍상수)。
原題は、"탑"。

 

ビョンス(권해효)が娘のジョンス(박미소)を乗せた愛車を4階建ての瀟洒な建物の前に停める。レストラン「SALT」からインテリアデザイナーのヘオク(이혜영)が現われ、ビョンスを迎える。こんちにわ。久しぶりね。本当だ。どれくらいになるかしら。変わりない? ええ。2人が握手する。娘さん? そう。初めまして。どうぞ。ビョンスがジョンスとともに店内に入る。
ビョンスとジョンスがヘオクと卓を囲んで食事しながら話している。娘は美術を学んでいたんだけど、止めてしまったらしい。美術を学んでたの?。ええ、以前は。何故インテリアデザインを? そうですね、沢山の人と会う仕事が自分に向いているんじゃないかと。確かに多くの人に会うけど、それが良いわけ? ええ、内気なもので、仕事が役に立つんじゃないかと。娘は内気だけど、うまくやれるんじゃないかな。信用に足るよ。知らないでしょ。そうなの? よく知らないんだ。何せ久しぶりに会ったんだから。そうなの? 5年ぶり。そんなに会ってなかったの? で、あなたは内気なのね? ええ。それだけじゃなくて、美術にはお金になりませんから。娘さんはお1人? 1人だけ。娘がインテリアデザインを学びたいというから、話を聞いてもらおうと思ってね。押し付けたくはないんだ。そう言えば、映画で賞を獲ったんでしょ。大きな賞、テレビで見たの。おめでとう、本当に素晴らしいわ。そりゃどうも。ジュール(신석호)! ワインを1本持って来て。どのようなものを? あまり高すぎないで気軽に飲めるものを。分かりました。彼、「ジュール」って言うの? 作家のジュールが好きで、そう呼んでくれって。素敵な名前だね。ちょっと女性っぽいけど。受賞のお祝いに飲みましょう。車の運転があるからな。まあ少しだけ。飲むの? 1杯だけ、お祝いに。
階段室。ヘオクが地下に仕事部屋があるという。ほとんど休憩に使ってるけどね。仕事は現場でするから。名前だけ仕事部屋。ちょっと見学してみたいけどな。先に上を廻ってから案内するわ。3人が階段を上がる。この建物を手に入れたの? そう。可愛い建物だね。こじんまりしてこざっぱりしてて、こういう場所いいよね。ヘオクが2階の店内を覗く。ソニ(송선미)がいないわね。レストランのオーナーで料理も作ってるの。お客さんは入ってるけど、彼女がいないわ。1階と同じレストランなの? ええ。でも2階は料理教室とかたまに来るお客さんのために使われてるの。特別なんだね。次回はここで食べましょうか? そうしよう。約束する? ああ。お客さんがいらっしゃるから上の階に行きましょう。3人はさらに階段を上がる。ヘオクが扉を開けて部屋に入って行く。誰もいないの? 仕事に出てるの。入ってもいいの? ドアに鍵を掛けないの。夜でも。配達物も受け取るし、好きに入るの。そんなことあるのか。ヘオクに導かれてビョンスとジョンスが室内に入る。
この窓は素敵だね。海外にいるみたいだ。ここに住んでる夫婦は洒落てるの。海外生活が長かったから。こじんまりしてるけど快適よ。いいですね。海外にいるみたいだ。自分が住もうとも思ったんだけど、貸すことにしたの。
3人はさらに階段を上がる。ヘオクが4階の屋根裏部屋のドアを開けようとするが、暗証番号が分からない。あれこれ数字を試してみる。ようやく扉が開いた。
狭い部屋のあちこちに絵画が置かれている。気に入った? 屋根裏部屋じゃないよ。いいね。外はもっと素敵なの。ヘオクがビョンスを屋上に案内するビルに囲まれてはいるものの、却って森の中の開けた場所のような趣があった。素晴らしい。ここが開放的だから部屋を窮屈に感じないのよ。

 

映画監督のビョンス(권해효)が娘のジョンス(박미소)を伴って旧知のインテリアデザイナーのヘオク(이혜영)を訪ねる。ソニ(송선미)の経営するレストランで食事をしながらお互いの近況を語り合うとともに、インテリアデザインの仕事をしたいというジョンスに助言を頼む。妻子を捨てて家を出たビョンスは罪滅ぼしに、5年ぶりに会う娘のために一肌脱いだのだ。ヘオクが所有する建物を2人に案内して廻る。1、2階をソニ(송선미)の経営するレストランに貸し出し、3階には海外生活の長い夫婦を、屋根裏部屋には画家を住まわせていた。ヘオクは画家が部屋を出るのでビョンスなら家賃は半額で構わないと誘う。地下にあるヘオクのサードプレイスである「仕事部屋」に招かれて談笑していると、ビョンスが映画会社の社長から呼び出しを受け、すぐ戻ると出て行った。残されたジョンスは、煙草を一服した際に出遭ったソニのレストランの店員ジュール(신석호)の助言を踏まえ、ヘオクにインテリアデザインの仕事を身に付けるために働かせて欲しいと訴えた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

映画監督のビョンスは娘のジョンスを伴い、インテリアデザイナーのヘオクに会いに行く。ジョンスがインテリアデザインで生計を立てたがっていると知り、ヘオクに助言してもらうためだ。10年前、愛人と暮らすために家庭を捨てたビョンスには娘に対する罪滅ぼしになればとの思いがあった。ヘオクは既婚者だが、再会したビョンスに明らかに好意を抱いている。次回は2階で食事をしましょうと約束したり、屋根裏部屋が空くので引っ越すなら家賃は半額でいいと提案したりしたのがその証拠である。
ビョンスが映画会社の社長に呼ばれたと中座して車で出ていく。30分か1時間と言ったが戻ってこない。ジョンスとワインを飲みながらビョンスや仕事について話していたヘオクは、ビョンスが最初からここにいなかったことにしましょうと言い、ジョンスは失踪届を出すべきだと巫山戯て言う。ビョンスが(車ではなく)歩いて戻ってきたと思ったら、ビョンスはヘオクに2階に案内される。ビョンスはヘオクとともにビョンスの映画のファンだというレストランのオーナーシェフのソニと3人で卓を囲む。ビョンスが戻ってきたところからは後日譚だったのである。以降、建物の3階、4階とビョンスがいる場所が変わるとともに、事態も推移していることになる。空間の移動=時間の変化となっていて、それを継ぎ目無く繋いでいるのである。ビョンスをジョンスは狐と評価するが、鑑賞者は(大袈裟に言えば)狐に抓まれたかのようだ。それでも況把握がきちんとできるような科白が周到に用意されているのである。
ビョンスの映画を全て見て、全て気に入っているというソニは、酒を飲みながら笑って見ると言う。ビョンスはルックスや若さだけでなく、自分の映画の付き合い方にもソニに好感を抱いたようだ。ヘオクの言葉からはビョンスの作品に対する評価は判然としない。大きな映画賞受賞をテレビで知っただけのようなのだ。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

ヘオクの建物の3階でビョンスはソニと同居生活を始めた。感染症の感染拡大でソニのレストランは開店休業状態に。ヘオクは雨漏りの修繕に本腰を入れない癖に、家賃は引き上げるという。ビョンスをソニに盗られた嫉妬が背景にある。ビョンスも出資の話が立ち消えになって以来、体調を崩し、映画制作を休んでいる。治療のために肉食を避け、摂取する油の種類にも慎重になっているビョンスは、ソニには気にせず好きなものを食べるように言うが、それは必ずしも本心から言っているのではないようだ。というのも食べ物をめぐるやり取りは、人付き合いのメタファーになっているからだ。ソニの付き合う人間に対してビョンスは目を光らせていて、ソニを失うのではないかという疑心暗鬼からソニを束縛し、却って関係を悪化させるのである。

(以下では、結末についても言及する。)

車を借りていたジュールが表で煙草を吸っていたビョンスに車の鍵を返し、ビョンスが車に乗り込む。ビョンスが車に乗り込んで降りてくる。空間は同じだが時間が変化したらしい。しかも遡っているのだ。1ヵ月でヘオクの下を去り、チェジュ島に行ったジェンスがワインを持ってやって来たからである。ビョンスは娘を先に入らせ、建物の下で煙草を吸う。
フランツ・カフカ(Franz Kafka)の『城(Das Schloss)』の測量士がいつまで経っても城に辿り着けなかった。それに対し、ビョンスはいきなり塔(탑)に辿り着いてしまう。そして塔から離れることができないのである。塔はビョンスの世界であり、映画そのものである。こぢんまりとして、こざっぱりとしている。見晴らしが良いとまでは言えない者の意外と開放感がある。ホン・サンス監督が築き上げてきた作品のメタファーが"탑"なのではなかろうか。

おぎやはぎ小木博明にしか見えない신석호演じるジュール君は、好きな作家の名に因んで呼ばせているというが、ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)で間違いないだろうか。ならば、本作とどのような繋がりがあったのであろうか。