展覧会『未来都市シブヤ エフェメラを誘発する装置』を鑑賞しての備忘録
GYRE GALLERYにて、2024年10月17日~11月29日。
渋谷をモティーフに写真と絵画を通じて都市の在り方を問う企画。石川直樹、繰上和美、畠山直哉の捉えた渋谷の雑沓や暗渠の光景に、山口はるみのポスター原画、あるいは風間サチコや友沢こたおの幻視する世界が挿入される。
会場入口には、石川光陽が1945年5月に撮影した、空爆により焦土と化した渋谷の写真がタワーのように積み重ねられ、あるいは崩れ落ちている。グラウンド・ゼロのインスタレーションである。都市に現われてしまった広い空の拡がる空間が都市についての考察の起点に据えられている。
石川光陽の写真から「石川」繋がりで石川直樹の写真「STREETS ARE MINE」シリーズへ。COVID-19が猖獗を極め人通りが少なくなった渋谷に進出したネズミたちの姿が主に収められている。捨て置かれた飲みものをストローで飲むネズミたちは、地上の権力の空白期に我が世を謳歌するようだ。都市環境に順応するモンスターを捉える点では、Chim↑Pom from Smappa!Groupの「スーパーラット」シリーズにも通じよう。
畠山直哉の「アンダーグラウンド」シリーズは、暗渠の渋谷川を撮影したシリーズである。無人の人工地下洞は、人の溢れる街路のネガであり、闇に跋扈するネズミたちの世界を象徴しもしよう。安部公房は世界が水没し水中生活を送る人類を想像した上で、そのように進化した人類はポストヒューマンである(もはや人類ではない)との趣旨の発言を残している。畠山直哉の「アンダーグラウンド」シリーズは、そのような人類無き後の世界への空想を促す。
その空想に浸りながら友沢こたおの絵画《slime CXXXI》を目にすれば、透明のジェルが顔に垂れかかった人物に水中生活を送る人類の姿を見ない訳にはいかない。
山口はるみの《ビー玉の女》はピンクや青などに輝く球体に取り囲まれた女性の顔を描き出した作品。輝く玉は胸の辺りからぽろぽろと零れ落ちていく。虚飾の時代とその崩壊とが1枚の画面に表わされている。
風間サチコ《人外交差点》は渋谷のスクランブル交差点を幻視した作品。現代のビル群に戦前の憲兵や囚人を彷彿とさせるキャラクター、ルーズソックスを穿いた足以外不可視にになった女子高校生、火炎放射器化したハチ公像、さらには低空飛行の偵察機など、アナクロニズムのSF活劇が展開する。そこら中に現われる眼のイメージは、監視カメラとスマートフォンによる監視社会を諷刺するものだろう。林立するビル群に切り取られた空は黒い鳥――例のSNSから青い鳥は消えたが、SNSに群がる人々を象徴していよう――に覆われて息苦しい。ハイレッド・センターが揶揄したクリーンな街の欺瞞にも批判の矛先は向けられている。
繰上和美の「ロンサム・デイ・ブルース」は渋谷を行き交う様々な人々の姿を映し出し、非常事態の渋谷を捉えた石川直樹の写真「STREETS ARE MINE」シリーズと対照を成す。
展示を締め括るのは、スマートフォンを連想させる縦長の画面に林立するビル群によって狭められた夜空に立ち上るキノコ雲である。何故か。デベロッパーにより占拠された街は風間サチコが描き出すディストピアに他ならないからだ。現に本展会期中のハロウィンの渋谷は警察を動員して異分子を徹底的に排除していたではないか。核戦争が勃発するより早く渋谷は廃墟と化す。渋谷自体がエフェメラとなる。