可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 富永華苗『魔術の百科事典』

展覧会『富永華苗「魔術の百科事典」』を鑑賞しての備忘録
Gallery KIDO Pressにて、2025年7月19日~8月31日。

富永華苗の絵画展。

《P.C.の研究―スカルの像》(333mm×242mm)は、卓上に置かれた本やボートを漕ぐ人形などを表わした作品。緑の表紙で天金加工の本の上に、ボートに乗って赤い櫂を漕ぐ、赤い帽子に青い服の人形が置かれている。古い羊皮紙の文章のミニチュアや、木製の燭台らしきもの、その他細々としたものがいくつか卓上に並ぶ。背景の焦茶の壁の左側には、扉のようなものが描法を違えて描かれている。
《H.W.の研究―リンゴ、ブレンダー、カップ》(333mm×242mm)には、卓上の本、ブレンダー、グラスなどとともに魔女の絵の切り抜きが描かれている。茶色い卓の上に開かれたノートには魔女に関する記事が見える。ノートの上には青汁(?)のグラス、ブレンダーなどが置かれる。リンゴやバナナのカラーのイメージ、あるいは魔女・悪魔・蝙蝠・猫を描いたモノクロのイメージは、切り抜いた紙のように描かれている。
《スクリーンの研究―大鍋、すり鉢、すりこぎ》(333mm×242mm)は、積み重ねた本とすり鉢などを表わした作品。積み重ねた本の上にタロットカードの箱(あるいはタロットの解説書)があり、その脇にはすり鉢とすりこぎ、中央には小さな鍋、奥にはミルクの入ったガラス瓶(蝋燭?)などがある。画面中央にはキャプションが、画面左上には人物のプロフィールのシルエットが、画面右上には龍を描いた紙片がそれぞれ貼り付けられるように描き込まれる。画面の脇からは手が突き出す。"TAROT"など画中に登場する文字は左右反転しており、鏡像だと分かる。鏡の中から世界を覗いているようだ。
《P.C.の研究―エブリシングりんご》(333mm×242mm)は、卓上のリンゴを描いた作品。卓上の左側には白い皿の青リンゴと、皿の外の赤いリンゴと青リンゴとを、卓上の右側には、3つのリンゴと果実を持つ手とを描いた紙を貼り付けたように表わしてある。他にもドラゴンを描いた紙片などが貼り付けたように配される。右側のリンゴのイメージにはⅣ、左側の皿のリンゴにはⅤと脇に記され、それぞれに矢印が向かい合うように書き込まれている。
卓上に描かれる雑多な品々に紙片などを貼り合せたイメージは、秘薬の調合や錬金術を喚起させる。デスクトップ(PCのモニター)においてあらゆるイメージがデジタルデータとして等価に扱える状況が魔術・錬金術に重ね合わされている。アナクロニスムは歴史の喪失を反映してもいる。

ユニコーンアベニューを探して》(652mm×910mm)は、少女とユニコーンとを描いた作品。カーテンの閉ざされた部屋には同心円を描いた床があり、白い布を掛けたテーブルが置かれている。卓上の開かれた書物からは炎が上がる。その炎を飛び越えるように、ユニコーンが画面右側から飛び出してくる。テーブルの周囲には椅子が2脚置かれ、壁には額がかかるが表わされているのは闇である。画面左側には、青いスカート、青い靴下、紅い靴を履いた少女の下半身が表わされる。一見すると、床の渦に巻き込まれるようにユニコ-ンのいる部屋に少女が入って来た場面のようである。だが、少女の背景は部屋とは異なり、ユニコーンの空間とは別世界にいるようでもある。それでも少女の影は部屋の床の渦に落ちている。床の円には"There's no paces like home."と鏡文字で書き込まれている。書物が炎を上げる無人の部屋はむしろCamilleの"Home is where it hurts"を連想させる場である。ユニコーンは救いを求める少女の生み出す幻想であろうか。

光学を主題に、身体と宇宙との相応のイメージを表わした《声なき者の絵、N》(180mm×140mm)は、転写により制作されている。印刷術の発明により視覚中心となった世界は、デジタルデータに変換され、複製可能となる。表わされたイメージは身体と宇宙のデジタルツインのようだ。もっとも、デジタルデータ自体が劣化せずとも、断片化されたイメージは文脈によりその姿を変えてしまう。

コラージュを装う絵画は、レッテルを貼る社会のメタファーである。ドライポイントの《ブーバビディビビディ》(190mm×120mm)には、火炙りにされる女性を表わした石板(?)を提示する女性の姿が描かれているが、異端者を捏ち上げて抹殺する魔女狩りは決して過去の遺物ではない。鏡文字は、そのような世界を鏡の中から覗くことを表わす。それは常に反転した世界を捉える、版画家の眼差しでもある。金子みすゞの「大漁」よろしく、一方的な視点・発想から脱却し双方向的発想へ転換することを促すのだ。