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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 本多周・寺沢ともき・ヨシノ三人展『曖昧な境界 vol.01』

展覧会『本多周・寺沢ともき・ヨシノ「曖昧な境界 vol.01」』を鑑賞しての備忘録
新宿眼科画廊〔スペースM〕にて、2025年11月7日~19日。

本多周、寺沢ともき、ヨシノによる、ありふれた日常における小さな違和感をテーマとする絵画展。

本多周《配電箱の猫》(1455mm×970mm)は、道端の配電盤箱の上に坐る猫を描いた作品。舗道の隅にマンホールがあり、その脇に青い配電箱が植栽と金網フェンスを背に設置され、トラトープが張られている。猫は箱の上に尻尾を前肢の方に廻して横向きに坐り、前方を見据える。恰も狛犬のようだが何かを守護する訳ではない。猫はトラロープ、金網フェンス、植栽という仕切りをいつでも平気で越えていく。
本多周《イエローウーマン》(1167mm×727mm)は、低く刈り込まれた植栽の背後に山吹色のワンピースの女性が青い如雨露を手に佇む姿を表わした作品。やや浅黒い肌の女性は、斜め前を向いている。何かを見ているようでもあり、ぼんやりと考え事をしているようでもある。彼女の背後には、彼女のシルエットに沿って楕円状の光が光背のように拡がる。左に覗く闇との関係で、彼女の輝きは弥増す。光背は太陽を、女性は太陽の光を受ける生命を象徴するのだろう。生命をエネルギーが循環していく。生命は全て光のエネルギーで連関し、そこに境界はない。

ヨシノ《13:54》(803mm×652mm)は、白いウサギを模したキャラクターの立体人形が電信柱やカーヴミラーの脇にあるゴミの収集場所に立つ姿を描いた作品。ウサギの人形は、黒い円らな目だけが表された楕円の顔の上に2つの耳を立て、胴には左右に開いた両腕と揃えた両脚の生えた2頭身である。2車線の道路から折れ、さらに狭い路地へと曲がる角に立つ。背後にコンクリート舗装の空き地があり、緑の金網フェンスで囲われる。フェンスの角附近には「この先通り抜け出来ません」との立て看板が設置され、ゴミを覆う黒いネットが掛かる。カーヴミラーと電信柱が立つ。空き地の奥には高く伸びた樹木が見える。二車線の通りの反対側には住宅地が拡がる。青空には白い雲が流れる。
ヨシノ《1:06》(803mm×652mm)は、《13:54》と同じ街角を真夜中に90度ほど向きを違えて描いた作品。ウサギのキャラクターはカーヴミラーや立て看板、空き地を右手に、二車線の通りを背に立つ。「止まれ」の交通標識、二車線の通りを挟んで向かい側には、3階建ての集合住宅、さらに奥に戸建てと思しき住宅が見える。月や星のない空の下、集合住宅や家の灯りが眩しい。
白いウサギの人形の存在により、住宅街の一角がスマートフォンの位置情報ゲームのような世界に変じるようだ。翻って、絵画が現実と仮想との交錯する世界であることを再認識させる。

寺沢ともき《無題》(500mm×650mm)は、ほぼ正対し右を振り向いた女性の顔を木炭で描いた作品。目を開き、口を僅かに開けた、やや不安げにも見える顔が光を受けて浮かび上がる。屋外のようだが、被写界深度が浅い写真のように、影と光のなす場面がどこであるかは判然としない。寺沢ともき《Now, no face》(910mm×727mm)は、キャンヴァスに油彩で描いた女性の胸像。白いブラウスに格子のベストを身につけた女性の顔は背後の闇に溶けてほとんど見えない。目を凝らして見れば右目が描かれているのが分かる程度である。女性の顔の辺りは焼け焦げたような表現にも見える。寺沢ともき《微睡》(300mm×450mm)は板に油彩で眠る女性の顔を描いた作品。青と黒の薄闇の中、シーツに包まる女性の顔は横向きで表す。女性は記憶のメタファーであろう。写実的に描き、焼け焦げたように表し、あるいはブルーアワーのような薄闇の中で捉え、心情や時間により移り変る記憶を示すのである。記憶のイメージは極めて曖昧である。
寺沢ともき「忘れないで」シリーズは、闇の中で光に翳した手が赤熱するように浮かび上がる様子を描いた作品で、4点(180mm×140mm、140mm×180mm、242mm×334mm、273mm×220mm)が並ぶ。タイトルからすれば、灯火により発光する手は、記憶により温められる心のメタファーであろう。記憶は光なのだ。その灯火=記憶が消えないよう包んでいる情景とも言える。