映画『メモリィズ』を鑑賞しての備忘録
2026年、日本製作。
97分。
監督・脚本は、坂西未郁。
企画は、孫家邦。
撮影は、鎌苅洋一。
照明は、永田ひでのりと菰田大輔。
写真は、江森康之。
美術は、渡辺大智と松﨑宙人。
衣装は、立花文乃。
ヘアメイクは、豊川京子。
音響は、黄永昌。
編集は、普嶋信一。
音楽は、小島央大。
フェリーの船内。景色が流れる。窓越しに景色を見つめる人。窓辺で弁当を食べる人。窓辺で本を読む人。窓辺で食事を取る人。窓辺でラップトップに向かう人。窓越しに景色を撮る人。誰もいない窓。
フェリーターミナルの待合ロビー。フェリーを見下ろす窓の前に父・山岸雄太(柄本佑)が幼い娘・山岸花(井上紫葵)と坐っている。パパ、どれくらいいないの? 2ヶ月くらいかな。2かげつってどれくらい? 60日くらいかな。60にちってどれくらい? 花が60回寝るくらい。いっぱいねたらパパはかえってくるの? お昼寝は1回にならないぞ。花は「朝」って分かる? あさごはんたべるから。それなら朝ご飯60回食べるくらいかな。あさごはんをたくさんたべたらかえってくるの? 花は朝ご飯をいっぱい食べられるかな? わかんない。なにしたらすぐかえってくる? 保育園を頑張ったら、かな。なにをがんばるの? 発表会の練習とか。
雄太がターミナルの窓辺にいる花と妻の山岸ゆき(穂志もえか)をテーブル席からスマートフォンで撮影する。
フェリーに乗船した雄太が窓から妻子に手を振る。ターミナルの建物の窓から花とゆきも大きく手を振り返す。またね! …何でフェリーなんだろう?
フェリーの船室。雄太がリュックサックの中身を取り出す。石ころが出て来る。雄太は石ころを見つめながら物思いに耽る。
九重連山を望む田畑に面した窓。朝7時過ぎ。南真(イッセー尾形)がベッドに仰向けになったままギプスをした右足を持ち上げる。
竹田市内の集合住宅。雄太が階段を降りる。ミナミ写真館の黒い軽ワンボックスカーにバッグや紙袋を積む。運転席に乗り込み、ダッシュボードのホルダーにスマートフォンをセットする。
久住高原を抜けるワンボックスカー。農道沿いに立ち並ぶ電柱。九重連山が取り捲く。
馬牧場の脇にあるベンチで雄太がおにぎりをほおばる。牧草地では男が馬の世話をする。スマートフォンが鳴る。…お疲れ様です。…はい、そうです。…その件なら新山君に引き継いで置きました。…もう大分に来ています。…いやいや、観光じゃないです。…はい。…お義父さんへ、お土産、これじゃないってのを渡しちゃって。…そんなことないですよ。…すいません、いつでも電話に出られます。…お疲れ様です。電話を切る。馬の世話をしていた男が雄太に頭を下げる。雄太も頭を下げる。雄太が再び車に乗り込む。
ゆきが自転車の荷台に花を乗せて自転車を走らせる。保育園に着くと、ゆきは花の首に水筒を提げる。今日も頑張ってきてね! いってきます!
8時半。真が台所にある食卓で1人朝食を取る。冷蔵庫は地図などやメモ類が隙間無く貼られている。電話機の周りも紙片でびっしりだ。
毛糸の帽子を被りマフラーを首に捲いた雄太がミナミ写真館の入口から姿を現わす。脇にある犬小屋にいるコムギにリードを着けて散歩に向かう。まずはすぐ脇にあるトンネルを抜ける。Y地路で山道ではなく下りの道へ。住宅街の路地を通り抜ける際「おはようナイスキャッチ」のロゴのタオルが干されているのに眼が留まり、撮影する。生垣を電動ヘッジトリマーで剪定している人の脇を抜ける。畑で作業している夫婦に大声で呼び止められる。ごめんなさい、時間が無くて。雄太は手土産を渡す。お義父さんはいつもいいものくれるの。真さんは? 経過が順調なら10日でギプスがとれます。焚火をしている角を抜けると、自転車の女性に追い抜かれる。女性が農道を突っ切る1本道を走り去る姿にしばし眼を留める。石壁沿いに古い椅子が並ぶ路地を抜ける。水の駅でポリタンクに水を汲む女性たちを尻目に雄太は駐車場のトラックに注目する。「お前達を愛してるぜ」と記された運転席を撮影していると、運転手が目を覚ましカーテンを開けた。雄太は慌てて退散する。ミナミ写真館に戻った雄太はコムギに水を遣る。
山岸雄太(柄本佑)は、右足を怪我した一人暮らしの義父・南真(イッセー尾形)の世話をするため、妻・山岸ゆき(穂志もえか)に娘・山岸花(井上紫葵)を任せて2ヶ月間東京東部の住まいを離れる。大分県竹田市にある集合住宅の1室を借り、岡城近くの住居兼店舗のミナミ写真館に通う。開店前に犬のコムギを散歩させてから店番をする。小学校で卒業アルバム用の写真や結婚の記念写真の撮影にドライヴァー兼アシスタントとして同行もする。食材の買い出しや昼食の準備なども行い、閉店後は寓居に戻る。ゆきは花を保育園に預けると、中国人旅行者のツアーガイド兼通訳として下町を案内して廻る。花は父親と違い一緒に朝食を取らない母親に不満を持つ。
(以下では、冒頭以外の内容にも言及する。)
東京を離れて鄙びた大分で生活することで見えてくる、掛け替えのない日常の尊さを描き出す。
映像詩とも言うべきテレンス・マリック[Terrence Malick]とは異なり、エンターテインメントとしてのバランスが図られているものの、科白は比較的抑えられ、可能な限り映像に語らせている。
ゆきがツアーガイド兼通訳者として中国人観光客を下町の観光地や飲食店に案内する場面は描かれる。それに対し、雄太の職業ははっきりとしない。電話で職場の人間と話していることから会社員であるようだ。店番の際にラップトップで作業するのはリモートワークなのだろう。
雄太と真とは、必要最低限の言葉しか交わさない。雄太が昼ご飯の茶を出すと、真は湯飲みが逆だという。すなわち、雄太が使おうとしていた湯飲みが真のものだという。洗い物をしながら見比べるが、ほとんど違わないように見える。日常生活はほとんどが繰り返しであるが、その中に微妙な差異を見出せるか。新鮮な目で世界を見つめられるか。それが真からの、そして監督からのメッセージである。犬の散歩で近所を廻る繰り返しは、反復法(詩の修辞法)である。雄太は自ら詩こそ読まないが、周囲の景観とともに言葉に眼をレンズを向ける。映像の詩人と言えるだろう。雄太は真の運転手役を担っていることからも、主人公が犬を散歩させ詩を読むバス運転手である、ジム・ジャームッシュ[Jim Jarmusch]監督の映画『パターソン[Paterson]』(2016)に対するオマージュであることは疑いない。
雄太と真との関係は、一定の距離を保つ。真は愛用していた革のジャケットをまだ寒いからと雄太に着るように促す。そのジャケットは、亡き妻・南詩織(香椎由宇)の洋服と並べて部屋に掛けられていた愛用の一着だ。真は何も言わないが、雄太には義父の心遣いが伝わっただろう。
雄太が車道脇の牧場に面するベンチで1人でとる朝食。雄太の前には馬がいて、馬を世話する男と遠くで言葉無く挨拶を交わし合う。雄太は昼食を真と取る。店で買った日替わり弁当だ。雄太はご飯をお椀に詰めて丸く固めて青い陶器の器に載せ、ハンバーグなどのおかずを周囲に盛る。その一手間で食事は見違える。大した言葉は交わさずとも、義理の父子は向かい合って食事をする。ゆきは花と一緒に朝食を食卓で取らない。花は不満だ。朝食を沢山取れば父親が帰って来るというのに。ゆきは旅行客を飲食店に案内すると、公園のベンチで1人で昼食を取る。誰もいない。食事とともに写真によっても、田舎と都会との時間の流れの違いが表現される。雄太が撮影した竹田と、ゆきが撮影した東京とが交互に対照的に映し出されるシークエンスである。
真がポジフィルムを1枚1枚拡大鏡で確認し選びマウントに収める。雄太に見せるために映写機にセットすると、カシャッ、カシャッという音とともに1枚ずつイメージが立ち現われる。ゆきのスマートフォンのライブラリには膨大な写真が収められているが、スワイプさせると滝のようなイメージで、1枚1枚は見返されることはなくただ流れ去っていく。極め付けは、ミナミ写真館の壁に掲げられる、夜の帷が下りる間際に撮影された詩織の写真である。泉下の妻を象徴するイメージを、真は日々、眺め続ける。