可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『マティス―色彩を奏でる』

展覧会『ポーラ銀座ビル15周年記念 マティス―色彩を奏でる』を鑑賞しての備忘録
ポーラ ミュージアムアネックスにて、2024年10月4日~27日。

ポーラ美術館所蔵のアンリ・マティス(Henri Matisse)の作品である《紫のハーモニー》(1923)、《中国の花瓶》(1922)、《室内:二人の音楽家》(1923)、《襟巻の女》(1936)、《リュート》(1943)の5点の絵画と画集『ジャズ』、詩集《シャルル・ドルレアン詩集》を展観。

《紫のハーモニー》(1923)は、山吹色に白い斑のある布が敷かれたテーブルに凭れ掛り、左肘を付いて左手で頭を支えている女性の上半身を表した作品。彼女の背後にはテーブルクロスよりわずかに明るい黄に薄紫の花が散らされた壁紙(?)が彼女と接着するように描かれている。画面右側では「壁紙」とテーブルクロスとが連続する。その結果、女性は極めて平面的な場に存在し、「壁紙」に描かれた花と同色の上着を纏った女性は、その場と一体化している。テーブルに置いた右腕は画面下端に対して斜めに配されることでしどけなく崩れる動きが生まれる一方、左腕と右腕との作るやや彎曲した線と円卓の天板の端とが一致し、右腕の内側の線・左手の内側の線・左頬や左手の線を底辺とする三角形により女性の頭部が支えられ安定する。その三角形は、身体のテーブルに沿った線・右腕と頭部の線・背中から頭部の線が作る大きな三角形と相似をなし、安定感は高められる。

《中国の花瓶》(1922)には、植物か何かの模様を散らした黄、青、赤の縞の布を被せた円卓に拡げた冊子を眺める、山吹の衣装の女性が描かれている。女性は両肘を付き、右手で頭を支えている。卓上には、赤い花を活けた染付の花瓶がある。女性の後ろには木製の椅子の背凭れが見え、薄紫の花を散らしたクリーム色の屏風が立てられ背景となっている。画面左端の屏風の脇からは黒に近い茶色の闇が覗く。女性の姿は、頭部を頂点に円卓を底辺に両腕と相俟って三角形をなす。やや斜め上から眺めた円卓の天板が楕円形に延びることで、前景の花瓶と後景の屏風との立体感が生まれている。花瓶に挿された赤い花から腕の線によって、また染付の花瓶からテーブルクロスの縞によって、女性へと視線が誘導される。他方、屏風の脇の闇が明るい世界を際立たせるのに効果を発揮している。

《室内:二人の音楽家》(1923)には、弦楽器を弾く山吹色のドレスの女性と楽譜を手にした緑のドレスの女性が、3つのアーチに植物文様を散らした赤い衝立を前に椅子に腰掛けてる場面が表される。山吹のドレスと緑のドレス、緑のドレスと赤い衝立及び卓上の赤い花とが、それぞれ補色に近い関係で配される。弦楽器――とりわけ指板――と青いテーブルクロスを掛けた円卓とが緑のドレスの女性に視線を集める効果を有し、彼女が鑑賞者に向ける目に誘導される。卓上の花瓶や果物を盛った皿などは、垂下がる青いテーブルクロスによって、前景に不自然に広く描かれた床に崩れ落ち落ちそうで、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)の静物画を連想させる。赤茶色の床は衝立の脇から覗く焦茶色の闇に溶けていく。絵画が平面であることを露悪的と言えるほどに表現しつつ、それにも拘わらず深淵であることを訴えるようだ。

《襟巻の女》(1936)には、椅子に腰掛けた、白地に赤い縞のスカーフを巻いた女性が表される。焦茶色の上着に映えるスカーフは、結び目を中心に風車の回転する羽のように配されている。スカートの「小さな風車」に呼応するように、青色の地に黒い格子の左の背景、黄色の地に黒い格子の右の背景、山吹色の地に黒い格子の女性のスカートによって、「大きな風車」が表され、作品に求心力を生じさせている。

リュート》(1943)は、リュートを手にした女性が、朱の絨毯や壁紙の部屋に座る姿が表されている。縦に直線的に延びる白い植物文様の入った朱の壁紙と、花を唐草文様の円環で囲う朱の絨毯には、一部同じ植物文様の線が用いられることで一体感を高めている。画面の中央には朱のテーブルが置かれ、大きな葉を持つ紫の花を活けた花瓶などが置かれている。そのテーブルの背後には青いタペストリー、あるいは別の空間が拡がり、そこには3人の人物を描いた絵が配され(掲げられ)ている。その絵に視線を誘導するようにリュートの指板が描かれている。また、緑色の椅子に腰掛ける女性のドレスはごく淡い紫で、卓上の花と相似を成している。そして、卓上の花は大きな葉を換気扇のように回転させ、人々の視線を自らと背後の青いタペストリーないし空間――そして3人の人物の絵――へと鑑賞者の引っ張り込むのである。そのとき、床の花と唐草の円環は低気圧の渦となって床の植物文様とともに上昇気流を生じさせていることに気が付くだろう。

5点の絵画の連関を見出すのも楽しい鑑賞体験である。