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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 宮内由梨個展『Scraped Script はがされた余韻や明ける癒紋』

展覧会『宮内由梨「Scraped Script はがされた余韻や明ける癒紋」』を鑑賞しての備忘録
gallery N 神田社宅にて、2023年3月11日~30日。

皮膚をモティーフとした作品で構成される、宮内由梨の個展。

 (略)なぜなら、われわれはすでに『旧約』の「ヨブ記」のうちに皮膚と魂とののっぴきならない関係を示すミュトスを見てとることができるからである。

サタン、エホバに応へて言ひけるは皮をもて皮に換るなれば人はその一切の所有物をもて己の生命に換ふべし。
サタンやがてエホバの前よりいでゆきヨブを撃てその足の跖より頂までに悪き腫物を生ぜしむ。

 多数の下僕と、羊七千頭、駱駝三千頭、牛五百くびき、雌ロバ五百頭と、息子七人と娘三人とを失っても、呪詛の言葉ひとつ吐かないヨブに対して、サタンはついに「悪き腫物」でその全身を覆う。それは、「ヨブ土瓦の砕片を取り其をもて身を掻き灰の中に座りぬ」というほど、はなはだしい痒さのために心身を苛むものであった。ヨブの妻は、そのありさまを見て、「神を詛ひて死るに如ず」とさえいうのだが、ヨブはそれでもなお取り合わない。そのヨブが呪詛の言葉を吐くのは、三人の友人がやって来て、そのあまりの様子に七日間一言も彼に口をきかなかったからである。皮膚の崩壊は、とりもなおさず関係性の崩壊なのだ。ヨブにいちばんこたえたのは、「社会関与」の不可能性だった。「自我」は関係的な存在なのであり、皮膚の崩壊はその関係性に決定的な亀裂を入れるのだ。
 この「ヨブ記」のミュトスをずっと日常的な次元で再現してみせたのが、太宰治のその題名も「皮膚と心」(1939)という短篇である。そこでは、身体中に吹出物が拡がった主人公の女性が、「そのときあら、私は、いままでの私でなくなりました。自分を人のような気がしなくなりました」と語るのである。安部公房の『砂の女』(1964)には、「人間に、もしか魂があるとすれば、おそらく皮膚に宿っているにちがいない」という主人公の述懐もある。(谷川渥『鏡と皮膚 芸術のミュトロギア』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/2001/p.267-269)

《A Red Life》(2000mm×1380mm)は、皮膚に見立てて、擦り剥いた際に出血する真皮としての赤いガーゼの上に、皮膚の最も外側にある平均0.2mmの表皮を表わす白いガーゼを縫い付けた葉書約180枚――すなわち約半年分――を1枚の布に貼り付けて天井から吊り下げた作品。日々ガーゼの「皮膚」に掻破行為(引っ掻く動作)を加え、一旦他者に郵送した上で回収し、大きな皮膚に仕立てたものである。郵送行為を介在させるのは代謝の象徴――表皮の基底層で生じた表皮角化細胞が垢として脱落するまで平均45日かかるという(椛島健治『人体最強の臓器 皮膚のふしぎ 最新科学でわかった万能性』講談社ブルーバックス〕/2022/p.20-23参照。)――であろうか。否、掻破行為により傷んだ皮膚を他者に届けることで、他者との関係性を維持し、自我の崩壊を回避せんとの目論見であろう。また、日々淡々と重ねられる行為は、クロニクル(chronicle)として読まれる(redと同音のread)物語となる。さらには、皮膚を壁面として起ち上げる行為は、芸術の始原にある洞窟壁画へと連なる。

《Scur Script-Kidney》(595mm×430mm×28mm)は、五角形に近い形のベージュをした陶板に、土や薬草、塩などを混ぜたものを置いた跡である赤褐色の形が浮かんでいる。皮膚や脂肪の中の内臓を捉えた人体の断面図のように見えるが、タイトルから対になった腎臓であると分かる。ベージュの陶板が象徴する皮膚が割れ、その罅が「腎臓」へと連なっているのは、腎臓の疾患により全身性の痒みが生じることを象徴するようである(椛島健治『人体最強の臓器 皮膚のふしぎ 最新科学でわかった万能性』講談社ブルーバックス〕/2022/p.96-97参照。)。

《Scar Script-psyche Ⅰ》(600mm×540mm)は、柿渋で染めたガーゼを重ね、楕円形の枠に張った作品。最表層には白いガーゼが被せられ、柿渋の下層が透けるとともに、縦横に切り裂かれた部分から露出している。切り裂きの部分は青い縫合糸で縫われることで、皮膚・疵痕であることが強調されている。楕円は天体の運動を想起させる。宇宙と身体の照応を象徴するためではなかろうか。身体と宇宙とを媒介する精神=プシケ(psyche)をタイトルに冠してあるのがその証左である。なお、左隣には同じシリーズのサイズ違いの作品《Scar Script-psyche Ⅱ》(500mm×410mm)が並ぶ。

《Scratching Score》は、背中に青い絵具で描いた四線と、それを引っ掻くことで現れるイメージとを楽譜に見立てた写真作品。五線譜ではなく四線譜としたのは1オクターヴに限定するためであろうか、あるいは賛美歌のイメージを引き寄せるためであろうか。ピュタゴラスは万物を数と捉え、宇宙の調和の背景にある音に数的な根拠を与えた(例えば、1本の弦を弾いた音と、その弦の長さを半分にして発せらた音とは1オクターブの違いがある。浦久俊彦『138億年の音楽史講談社講談社現代新書〕/2016/p.31-33参照)。掻破行為が弦をかき鳴らす演奏となり、音楽は調和すなわち治癒への冀求となる。

 さて、古代ギリシャ時代の音楽観がわかる恰好の資料がある。5~6世紀ローマの哲学者ボエティウスが著した『音楽論』である。ここに古代ギリシャの音楽が3種の分類で示されている。「宇宙の音楽」(musica mundana)、「人体の音楽」(musica humana)、「道具の音楽」(musica instrumentalis)である。
 ところで、この3種の分類は、ぼくたちの常識的な音楽とはまったくかけ離れている。このなかでいまでも音楽として通用するのは、第3の「道具の音楽」だけだ。この「道具」には、楽器だけでなく人の声も含まれるというから、何か「音の出るモノ」を使う音楽は、すべて道具の音楽となる。ほかのふたつ、宇宙の音楽と人体の音楽は、メロディーがあって演奏できるような音楽ではない。つまり、聞こえる音楽ではないのだ。
 だが、古代ギリシャ人たちにとっては、どちらも音楽であることに変わりはなかった。それどころか、聴こえる音楽よりも聴こえない音楽が、より高度な音楽と考えられていた。肉体をコントロールするのは精神なので、精神は肉体よりも上位にある。したがって、耳で聴く音楽よりも精神で聴く音楽の方が高位にある、というわけだ。
 (略)
 どちらも聴こえない音楽と考えられている「人体」の音楽と「宇宙」の音楽。このふたちの音楽について、ボエティウスは、次のように書いている。まずは、人体の音楽から。「人体の音楽は、人間自らにかんするものである。人間の身体と、かたちのない理性の働きを結合するのは、調和以外に何があるか。それは低音と高音が協和するときの正しい混合の状態に似ている」。
 次に、宇宙の音楽。「宇宙の音楽は、天体、あるいは要素の結合、あるいは季節の移行においてとらえられる。天体という機械は、あれほど早く動いているので、音を生じないで動くなどありえない」。
 天体が動き回っているから音がするはずだとはすごい着想だが、それはともかく、ふたつの音楽はともに「結合」「調和」など、何かと何かを結びつけることが強調されている。この意味するところが「ハルモニア」である。(略)
 ハルモニアは、英語でハーモニー。こう書くと音楽用語のようだが、このことばが含む意味はじつに広大で奥深い。世界のありとあらゆるものの調和を意味するからだ。哲学の世界だけではない。宇宙、自然から、国家、政治、愛、味覚、脈拍まで、物事が秩序を保っている状態や、理想とされる状態まで、「ハルモニア」のオンパレードだ。もともとは、古代ギリシャ時代の建築用語「アルモニア」から派生したといわれ、本来の意味は「結合」である。(略)
 ではなぜ、ハルモニアが音楽用語になったのか。ごく簡単にいえば、音こそが調和の象徴だから。いいかえれば、相反する要素の調和の象徴として登場するのが「音」だからだ。調和は耳で感じることができる。それもひとつの音ではなく、いくつかの秩序ある音のつながりのなかで。そこから、秩序ある音の連なりである「音階」を指すようになっていく。ハルモニアということばが、調和だけでなく音階を指すようになるのは、音と音のつながりとその比率が、たんに音の調和だけの問題ではなく、宇宙全体の調和を意味すると考えられたからだ。(略)
 古代ギリシャにおける人体の音楽は、肉体と精神のバランスを保つこと、つまり、いまでいう音楽療法の考えに近いものがある。(略)
 (略)
 古代ギリシャでは、人体とはもうひとつの宇宙であると考えられていた。マクロコスモスとしての宇宙と、ミクロコスモスとしての人体である。ヒトの魂にはもうひとつの宇宙(ミクロコスモス)があって、それが外界に果てしなく広がる宇宙(マクロコスモス)と対応している。つまり、人体と宇宙はつながっている。人体の音楽は、宇宙の音楽のいわば縮図である。だからこそ、宇宙の音楽は、人間の精神や肉体に切実な意味を持つと考えられたのだ。
 ピュタゴラスの現存する最初期の伝記のなかに、彼が音楽を身体と魂の浄化として用いたという記述がある。ピュタゴラスは、さまざまな旋律の組み合わせを、いわば薬のように調合して、苦しみ、怒り、不当な競争心、欲望、思い上がり、気落ちなど、あらゆる気分に効果があるものを聴かせることで、それらを鎮め、治療したという。彼は、音楽療法の実践者でもあったのだ。(浦久俊彦『138億年の音楽史講談社講談社現代新書〕/2016/p.38-43)